読み物
終活訪問看護師・ケアマネジャー 藤澤 一馬「自宅で看取ることは良いこと?」
『自宅で看取りたい。』
かつて「自宅での看取りが約8割」を占めていた昭和26年と比べ、平成25年では「病院での看取りが約8割」となりました。近年、国の政策として在宅医療・介護の推進が図られ、少しずつ自宅での看取りが戻りつつあります。
皆さんは「自宅で看取る」とは、どのようなものと考えていますか。ドラマのような「キラキラした」「感動的なストーリー」を思い浮かべることもあるかと思いますが、現実はどうでしょうか。
介護は緩やかに始まるばかりではなく、突然訪れることが多くあります。転んで動けなくなることや肺炎で食事ができなくなること、癌などで治癒の見込みがないなど。特に突然訪れたケースでは、準備もままならない状態で退院、在宅介護がスタートすることが珍しくありません。
「実際の介護」をする前に、いろんな事務手続きやサービス調整が必要です。介護保険の申請、在宅医療の調整をしつつ、介護者の介護をしながら自身の仕事や生活と、目まぐるしさに疲労を感じる暇もないでしょう。ケアマネージャーが手伝ってくれますが、契約などは家族がしなければなりません。気づいたときには心身ともに疲れ果ててしまい、在宅介護を断念するケースを見てきました。
さらに病状によっては自宅で点滴、管の挿入、医療用麻薬の使用など、毎日看護師による医療処置が必要になります。痛みや苦しさは医療の力で取り切ることはできず、昼夜通して辛さを間近で見守る日々も。24時間専門職に診てもらえる安心感から、病院で看取りを希望する方も多くいるのが現実です。
在宅医療・介護の実際は、どうしてもキレイごとでは済みません。ただ私はこのような現実があったとしても、「自宅での看取りは素晴らしい」と胸を張って言えます。
コロナの渦中では面会が1回/週に15分や予後数時間程度でないと付き添えないですが、自宅ではいつでも傍に寄り添え、笑い合うことができます。家族との雑音、懐かしい友人と住み慣れた我が家で、「自分らしい時間」を過ごすこともできます。
『看取りは悲しいもの』
これは意外に、固定概念かもしれません。故人を囲み、故人の過去を振り返ったり介護の辛さを語ったり、涙と笑いに包まれた看取りもありました。看取りとは最期をさす言葉ではなく、寄り添った時間や過ごした思いを含めて『看取り』と呼びます。私は、「故人と家族、専門職が作り上げたエピローグ」であるとも感じます。
在宅介護は決して楽ではありませんので、自宅で看取ることが絶対ではないでしょう。ですが、それでも最期を共に過ごせる時間はかけがえのないものです。今から『もしも』が訪れた場合に、どのような看取りや最期を希望されるか、ご家族間で話し合ってみてはいかがでしょうか。
日本財団が提唱する、遺贈という名の選択
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