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日本経済新聞編集委員 宮内禎一「歌は世につれ、世は歌につれ」 

「歌は世につれ、世は歌につれ」 

 大みそかのNHK紅白歌合戦。知っている歌手は年々少なくなるものの、毎年つい見てしまう。「歌は世につれ、世は歌につれ」というように、歌は時代の風を受けて変化し、世間も歌の流行によって影響を受ける。記者生活で出会った何人かの歌手の言葉は、今も心に残っている。

 「煮詰まった状態になると大好きな奈良を歩きました」と話していたのはさだまさしさん。春日大社周辺を歩く恋人同士の揺れる心を歌った「まほろば」は「青丹よし 平城(なら)山の空に満月」と結ばれる。「神様がくれたフレーズだと思います。ちょっとずるいですけどね。はい、満月みたいな」と、笑みを浮かべて語った。
 
 インタビューしたのはソロ公演4000回を迎えた2013年。「お客様が足を運び続けてくださった証明。まだこの洞窟は奥がありそうだなと思ってもらえるのが非常に重要です」としたうえで、「だからできるだけ底が見えないように、自分で掘っていく努力をしてきました。で、気が付くと、こんなに深いところまで掘ってきたんだなという感じです」と、感慨深げだった。
 
 デビュー50周年を迎えた22年には4573回目のソロ公演を行い、単独アーティストによる最多公演の日本記録を更新中。まだまだ掘り続けている。
 
 23年にデビュー50周年を迎えたシンガー・ソングライターの谷山ひろこさん。NHK「みんなのうた」の「まっくら森のうた」などでおなじみだ。
  
 谷山さんは時間も空間も自由に行き来するシュールな世界観が持ち味。「メッセージソングみたいなのは好きじゃないんです。何かのために歌があるというのではなく、歌がそこにあるだけで、もうそれがすごくいいというものであってほしい」と話していた。

 1971年に台湾から来日して最初に渡された曲「雨の御堂筋」が大ヒットした欧陽菲菲さんは「悲しい曲だけど、当時はあまりわからなかった。そのちょっと違う感じが受けたのかもしれないね」と言う。「この曲で菲菲が生まれたと感謝しています。何千回歌ったか。歌うたびに気持ちは違うの」と振り返る。
 
 当時、東芝EMIプロデューサーとして菲菲さんを育てた草野浩二さんが「流行歌は街に流れゆくもの。でも最近の音楽は個人の耳に直接入ってしまい、空気に触れないんですね」と話していたのが印象的だった。

 「部屋とYシャツと私」などで知られるシンガー・ソングライターの平松愛理さん。神戸出身で、95年の阪神大震災の翌年から25年間、震災の日にライブを開いて収益の一部を震災遺児の支援施設に寄付してきた。
 
 自らも子宮内膜症や乳がんを乗り越えている。「痛みを通じて人の心の痛みを知り、歌にできる。シンガー・ソングライターとして必要なものを神様が与えてくれたという考え方で乗り越えてきました。『死』は必ず誰にでも訪れるという感覚を得て、そのゴールに向かってポジティブに生きようと考えるようになりました」と語った。
 
 「こうでありたいという理想と現実との距離が詞を書く力になります。少し膝を曲げてジャンプしたほうが高く跳べる。そう信じているから、しゃがむことは恐れません」とも。

 最後に、平松さんがくれたアドバイスをお年玉に。「その日にあったいいことを書き留めてみて下さい。すると、翌朝のちょっといいことでスイッチが入ります。『歯磨き粉が1回分残っていてラッキー』とか。心の筋肉が鍛えられてくると、いいことばっかり目につくようになりますよ」。

日本財団が提唱する、遺贈という名の選択

シンガーは詩に人生を込めて歌っていると思います。お一人お一人のこれまでの生きた証を「遺言」で最後の形に残しておくことを考えてみるのもよいと思います。日本財団遺贈寄付サポートセンターでは、社会貢献により遺言書で財産を社会貢献のために使いたいと考える方のご相談をお受けしています。ホームページ、お電話でお気軽にお問い合わせください。


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