読み物
老後日本経済新聞 編集委員 兼 マネー・エディター 山本由里 「自分の家なのに……売れない!」
間もなく8月のお盆。お金にまつわるトピックスを季節ごとに考える「マネー歳時記」的に言えば、帰省のタイミングを捉えての「親の介護」や「実家の処分」「墓じまい」等々に関心が集まる季節です。そんな中、個人的にも親の資産処分を考えざるを得ない出来事に直面し、改めて現実の難しさをかみしめています。90歳まで元気に独り暮らしだった義理の母が先日、新型コロナウイルスに感染して救急搬送されたのを機に、施設に入所することになったのです。
病院からの引っ越しは時間との闘いです。入院が1日長引けばそれだけ足腰はメッキリと弱り、認知機能も目に見えて衰えます。週末を利用して慌ただしく複数の施設を見学し、兄弟間でのちょっとした意見対立の紛糾も経た上で、ようやくこれぞという施設に決めました。やれやれ、もつかの間、すぐに資金の捻出問題が待ち受けます。
民間事業者が運営する有料老人ホームの「相場」は入居時に支払う一時金が数百万〜数千万円程度、毎月かかる食費や家賃、介護費等で15万〜30万円程度です。いわば人生最後の高額消費。費用を賄うため、義母の自宅を売却することにしました。本人の生活の質を守る住み替えのために、他でもない本人の資産を処分するだけのこと。ところが、この当たり前のことが、高齢になると自由にできなくなります。「認知症」の壁が立ちはだかるのです。
認知症の程度・症状は千差万別。完全に意思決定能力が失われる前に様々な段階があり得ます。日々のコンディションによっても左右され、昨日は明晰(めいせき)だったのに「今日はダメだ」とがっかりする……。決して一定ではありません。倒れる前までは年相応の物忘れ程度で自立して生活していた義母でしたが、入院以降、短期間のうちに何度も居場所が変わったことも影響したのでしょう、日によっては「ここはどこ?」状態に。見方によっては立派な認知症患者と言えるかもしれません。
こうなると教科書的には、契約行為は行えず不動産の処分もできなくなるのがセオリーです。いくら本人の施設入所のための売却とはいえ、後々のトラブルの種になりかねないことには不動産業者も及び腰になります。この場合の「正解」についてはこれまでも記事で書いてきました。「成年後見制度」の利用です。
成年後見とは認知症などで判断力が不十分な人の財産管理や契約行為を代行する制度。親族らが家庭裁判所に選任を申し立てます。後見人には親族が選ばれるとは限らず弁護士や司法書士など専門職が選ばれることもあります。後見人の役割は本人の財産を守ることなので、本人のためであっても財産を減らす行為には慎重になります。選任手続きが完了するまで少なくとも数カ月かかる上、月に数万円程度の出費が継続的にかかることもあるため、利用は低調。2022年末で25万件程度と、600万人以上いるとされる認知症患者を十分カバーできていません。
まさに「記事に書くのはやすし、行うは難し」。自分の切羽詰まった状況からしても、セオリー通りに成年後見制度を使う選択肢は現実的ではありません。義母のコンディションを整え、調子の良い日を見計らって通常売却にトライしようと思います。現場を知る不動産業者によると決して珍しい例ではないとのこと。難しい契約の細目は理解困難でも「自分の施設入所のために家を売る」という意思表示ができ、名前を書くことができれば「なんとかなる」そうです。それはそれで今度は詐欺や悪徳商法なども心配になるわけですが……。
認知症は誰もがなりうる病気。75歳以上の有病率は25%と言われます。高齢化が急速に進む日本では、認知症の人が持つ金融資産は2030年度に231兆円と、20年度推計比で約5割も増え、所有する住宅も40年に280万戸に増える見通し(第一生命経済研究所調べ)。住宅全体の4%に相当する数です。セオリーと現実の間に位置する使い勝手の良い制度の整備は待ったなしです。