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日本経済新聞編集委員 宮内禎一「「自立する」ということ」

「「自立する」ということ」

 「自立」というと、「何でも自分一人でできること」と考えるのではないだろうか。しかし、被災した障害者を支援する大阪市の認定NPO法人の創設者で、幼少期から右足が不自由な牧口一二さんの話を聞いて考えを改めた。

  ある日、牧口さんのもとに愛媛県在住の重度身体障害者、Uさんから電話があった。面識はないが、翌々日に会いにくるという。待ち合わせ場所の喫茶店に行くと、ベッド式車椅子に横たわったUさんがいた。「骨形成不全症」という病気で手足がほとんど動かせないのに、愛媛から一人で大阪まで来たという。  

 どうやって来たのか。話を聞いて牧口さんは驚いた。まずUさんの母親がベッド式車椅子の彼を自宅前の道路に出す。彼は通行人に声をかけて駅まで車椅子を押してもらう。同じ方向に行く次の人を見つけて列車や船を乗り継ぎ、100人以上の助けを借りて口だけで大阪にたどりついたという。  

 3年後、Uさんは東京から電話をかけてきた。愛媛に戻らず東京で暮らしていた。牧口さんが彼の住むアパートを訪ねると「重度健全者リハビリテーションセンター」の看板が掲げてある。「最近の若者は家事もできない。 ここで俺の介護をして生活力が付いたら、もう大丈夫と追い出すんだよ」と笑うUさんが、多くの若者に囲まれていたという。  

 「日本では幼いころから一人で何でもできるよう促されるが、それは孤立につながる」と 牧口さん。「Uさんのように他者の力を借りながら自分の生活を創り出すのが本当の意味での自立ではないか」と語る。

 10年ほど前に取材した大阪・泉北ニュータウンのグループを思い出した。知り合いの主婦ら4人で1997年に設立したグループは、自宅を開放して趣味の講座を開いていた。「子どもが巣立った広い家に夫婦2人ではもったいないね」「料理、マージャン、シャンソン、水彩画など、まわりにはプロに近い能力を持つ人がたくさんいるよね」と話したのがきっかけだった。  

 ゴルフ、パソコンなど講座は40以上、会員も200人以上に広がって、毎日のようにどこかの家で講座が開かれていた。先生が、別の講座では生徒になる。講座後のお茶会も情報交換や、悩み事を話して解決する貴重な場になっていた。  

 困ったときに近所で助け合える仕組みも、地域ごとに整えた。自宅開放なので日ごろから
会員の家の様子がわかるのが強み。発起人の一人が「もし高齢で病気になっても、隣の部屋で仲間がマージャンでもしていてくれたら寂しくないかな」と話していたのが印象的だった。

 逆説的だが、人間関係を増やすほど自立度は高まる。そしてもう一つ。自分の頭で考えて自分の将来を決めていくことが「自立」なのだろう。新型コロナウイルス禍で「分断」が進むなか、自立するということを自分なりにもう一度考えたい。

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