読み物

日本経済新聞編集委員 辻本 浩子「長い時間をかける」はいいことか

「長い時間をかける」はいいことか

「看護/介護時間全国1位!」

 西日本のある県が、ホームページでうたっている一節だ。まじめな県民性をあらわす例だという。介護に長い時間をかけることができる。それが家族のひとつのあり方であることは確かだろう。

 ただ、ここでちょっと立ち止まってみてほしい。もし、長い時間をかけることだけがいいこと、と受け止められるなら? それは少し違うのではないか。

 かける時間が長ければ、その分、介護する家族にとっては負担ではある。それで疲れてしまったり、体調を崩してしまったりしては大変だ。また逆に、時間が短い=愛情が足りない、と自分で思ってしまったら、介護する家族もされる人もつらくなるだろう。

 そもそも、どれだけの時間をかけられるかは、状況によってさまざまだ。例えば働きながら介護している人なら、自ら介護できる時間は短くなる。その一方、しっかり介護サービスを手配し、一緒にいられる時間を大事にすれば、それはそれでいい介護になるはずだ。

 大事なのは、長続きすることだ。だれにとっても無理のない時間の使い方を工夫できれば、密度の濃い、いい毎日を過ごすことができるだろう。長い時間をかけることだけが愛情の証しではない。

 これは、家事などについても同じことがいえる。日本では長い時間をかけるほど、「きちんとしている」と受け取られがちだ。お総菜などを買ってくると、手抜きとみられることもある。

 だがやはり、できることには限りがあろう。お総菜や冷凍食品を使ったり、お掃除ロボットのような家事時間の短縮につながる家電を使ったり。それによって、余裕が生まれれば、暮らしもより豊かになる道が広がる。

 1日はだれにとっても24時間、1年は365日だ。使える時間は有限だ。「しっかりしなきゃ」と思いすぎ、自分ですべてをやろうとしなくていい。やれない自分を恥じる必要もない。

 年齢を重ねるにつれ、暮らしのなかでやるべきこと、したいことの優先順位は変わっていく。

 自分でこれからも続ける。
 やり方を工夫し、かける時間を短くする。
 第3者の力を借りて、分担する・任せる。
 すぱっとやめる。

 一度、自分の暮らしを棚卸ししてみてはどうだろうか。時間の使い方を見直すことで、人生はより自由になるだろう。

日本財団が提唱する、遺贈という名の選択

親の老後を思うとき、介護の負担も避けては通れません。親だからこそ子どもとして手を尽くしたいと思うのも当然のこと。上手に利用できるサービスを利用して長続きできる介護をしたいものです。また介護を通してお世話になった方へ、また未来を担う世代に遺したいと思われている方がいましたら、「遺贈」という選択肢を検討してみてはいかがでしょうか。
遺贈は、遺言書で社会貢献活動を行う個人や団体などに自分の財産を遺すことです。そこで育まれる寄付文化は、「みんながみんなを支える社会」につながることと思います。世代間での支え合いに通じるものとなるでしょう。

遺贈について詳しく知る

未来への贈り物、遺贈未来への贈り物、遺贈
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