読み物
老後日本経済新聞編集委員 辻本浩子伊能忠敬の〝達人〟術
「第2の人生の達人」――。そんなふうに呼ばれる人物が、江戸時代にいた。伊能忠敬。日本で初めて、実測による日本地図をつくった人物だ。
彼の人生は、前半と後半で大きく変わった。もともとは千葉・佐原の商人、村役人だった。隠居してから江戸に移り、幕府天文方の人のもとに弟子入りする。まさに生涯現役、一身二生といえる。
そんな彼の生涯について先年、取材し調べる機会があった。そこで、驚いたことがある。
「お金との付き合い方」でも、達人であったのだ。会計マネジメント能力が高い、とでもいえばいいだろうか。
ふだんはとても几帳面で、しまり屋だったという。そうでなければ商人としてやっていけない、というのもあっただろう。家業におおいに腕を振るい、伊能家の身代を大きく膨らませた。
だが、彼は決してケチではなかった。無駄を嫌い倹約はするが、必要なときにはどーんと出す。その使い方が見事なのだ。
彼が佐原にいた時代、周囲は大飢饉に襲われた。しかし佐原では餓死者を出すことはなく、打ち壊しも起きなかったという。忠敬が早いうちから安く大量のコメを買い付けており、それを救済に向けるなどしたためだ。
江戸での第二の人生でも、お金の使い方が光る。測量の旅を始めるとき、当初は幕府からあまり費用が出なかった。忠敬が自腹を切って、旅を支えた。それはやがて、計10回にも及ぶ測量につながっていく。その一方で、いただきものを現金に換える、といったこともあったという。
ためるときはためる。使うときは使う。彼のやり方は「お金を生かす」ものだ。ここが大事と思ったら、ちゅうちょしない。未来を見通したお金の使い方、ともいえるだろう。
彼は1818年に73歳で亡くなった。その3年後に、弟子たちの手によって「大日本沿海輿地全図」が完成する。彼の思いは受け継がれた。そしてこの地図はその後、さまざまなかたちで生かされていく。
今年は地図完成から200年の節目の年でもある。興味のある方は伊能忠敬についての本を読んだり、佐原にある伊能忠敬記念館を訪ねたりするのも楽しいだろう。第2の人生をどう生きるか、そしてどうお金を使っていくか。彼の生きざまはわたしたちに多くのヒントを与えてくれそうだ。
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