読み物
終活立教大学社会デザイン研究所 星野 哲終活万華鏡 -2-
前回、いまの終活に足りないものは対話だと書きました。その一つの例が、介護や医療・看護の方針に関してです。
お墓を買ったり葬儀を予約したりすることは、極端な話、家族らと相談しないでも自分一人で決めて密かに行動することもできます(それを勧めているわけではありません。念のため)。もしもあまり良心的ではない葬儀業者と事前に契約してしまい、いざという時に依頼した通りに実施されなかったとしても、自分が直接の被害を受けるわけでもありません。なにせ亡くなっているのですから。
つまり、対話をしていなくても実行できると同時に、自分自身が困ることはあまりない類の終活だともいえます。
ところが、そうはいかないのが医療などの方針です。まず、その結果を受け止めるのはほかの誰でもない、決めた(あるいは決めなかった)本人自身です。苦痛が長引いたり、生きる時間が短くなったり、といった結果をです。
人生の最終盤では多くの人が、自分の意思を表明することが難しい状態になります。そこでいま求められているのは、そんな状態になったときにどんな医療を望むのかといった、あなた自身の予めの希望の表明です。
いわゆる延命治療(生命維持治療)をどうするのか。人工呼吸器の装着、口から食べられなくなったときに胃ろうを使うかどうか、心肺が停止したときに蘇生を実施するか――。医療の進歩によってさまざまな選択肢が生まれています。その選択は基本、自己決定に委ねられているのです。だから、意思表明ができなくなった時に備えて周囲の人たちに自分の意思を伝えておかなければ、肝心の本人の意思がわからないのですから周囲の人たちを悩ますことになりかねません。
少し古いデータですが、一人暮らしの高齢者を対象にした内閣府の調査(2014年度実施)で、今後おこるかもしれないことへの備えとして「墓」「葬儀」「終末期医療」の3つについてたずねています。墓は42.1%、葬儀は28.6%の人が「具体的に考えている」と答えたのに対し、終末期医療は16.6%にとどまりました。
(高齢社会白書2015年版より)
医療方針に関しては、自分自身の死、死に至るまでのプロセスという、できれば考えたくないことに向きあう必要があるうえ、「誰か」と対話して伝えておく必要があります。死生観とも密接にかかわってきます。サービスを購入するだけでもなんとかなる墓や葬儀に比べると、覚悟とまではいいませんが、大変なことは間違いありません。だからこそ、具体的に考えている人がぐっと少なくなるのでしょう。
「リビング・ウイルを記しておけば十分では?」と思われたとしたら、かなり終活に取り組んでいらっしゃるとお見受けします。事前に希望する医療の方針を文章に記しておくことをリビング・ウイルといいます。
実はいま、これだけでは十分ではないと考えられています。代わりに国が普及に力をいれているのが「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」です。国の定めた愛称では「人生会議」といいます。これこそ、まさに医療方針などに関する対話なのですが、なぜいまACPなのか、そもそもACPとは何かについては次回に。
日本財団が提唱する、遺贈という名の選択
人生の終盤に自分自身の意思表示が難しくなること、元気なうちには思いもよらないことかもしれませんが、実際には多くの方がそういう状態になると言われています。そうなってしまってからでは、遺される家族や周囲の者たちに負担がかかってしまいます。自分の意思表示ができるうちにきちんと準備をしておくことは、遺す者の務めではないでしょうか。
日本財団遺贈寄付サポートセンターでは、遺言書で自分の財産を社会貢献のために使いたいという方に、終活周りの情報提供もしております。お気軽にご相談ください。