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立教大学社会デザイン研究所 星野 哲終活万華鏡 -4-

終活万華鏡 -4-

 終活には対話が大切だと書いてきました。もう一度強調したいのは、「迷惑をかけたくない」終活に対する違和感です。
 葬儀業者を生前に予約しておき、葬儀の式次第まで事細かに指示して亡くなった方がいました。参列者はあらかじめ指示した少数の範囲で、僧侶も呼ばないシンプルな式次第。確かに「その人らしいな」と感じはしましたが、喪主である子どもは戸惑っていました。何も自分で決めることがなかったからです。本当はもう少し「丁寧な」葬儀をして送りたかったと口にしていました。
 葬儀は確かに亡くなった方が「主役」ですが、葬儀を執り行う家族や友人らにとっても大切な意味があることはいうまでもないでしょう。親を見送るなら「最後の孝行」と考える人がいるかもしれません。この葬儀の場合、親が準備万端整えていたので確かに手間や負担はあまりかかりませんでしたが、どこか寂しさを感じた喪主の気持ちも理解できます。
 そもそも面倒や手間と、迷惑とは違うはずです。家族のためとはいえ、料理を毎日つくるのは面倒だと感じることもあります。でも、迷惑だとは思いませんよね?
 同じ行為でも、迷惑と感じるかどうかは人や状況によって異なります。たとえば、近所の子どもがピアノの練習をしているとしましょう。その子どもや家族と交流がある近所の人は上達ぶりを楽しんだり、心地よい音楽と感じたりするかもしれません。一方、日ごろから交流していない、あるいは関係性があまりよくない人は、騒音ととらえ迷惑と感じるかもしれません。関係性によって受け止めが異なります。
 世帯を別にしていれば、親の交友関係は子どもにはわからないことが多くあります。連絡先リストがなければ、年賀状で探すなどの手間は必要でしょう。子どもには面倒かもしれません。でも、それは迷惑なのでしょうか? 親の年賀状をみながら「こんな一面があったんだ」「こんな人と交流があったのか」と、親の新たな姿を発見する経験ととらえるかもしれません。少なくとも親子関係が良好であれば、その作業を面倒と感じることはあっても迷惑とは思わないでしょう。
 身内を亡くされた経験があれば思い返してみてください。葬儀などは面倒だったかもしれませんが、その手配や執行を迷惑だと感じたでしょうか? 迷惑とは関係性が許容する範囲を逸脱した面倒・負担をかけることによって、なんらかの利益を大きく損なってしまう状態を指す言葉だと思います。相手を思って終活するくらいの関係性であれば、迷惑と感じる範囲は限られるのではないでしょうか。
 そう考えると、大切なのはやはり対話です。自分がいまなにを考え、希望しているのか。どんな生き方をしてきて、何を大切に感じているのか。これからどう生きていくのか。それを生きている間に家族や友人らに伝えること、話をすることこそが終活の肝なのだと思います。その上で、「あとはよろしく。あなたの好きなように」と任せられる関係性をつむぐことが大切ではないでしょうか。
 遺される人のために何も準備すべきでない、などと主張しているのでは全くありません。たとえば、遺産のことを「あとは任せた」と何もしないでいると、それこそ「迷惑」をかける最たるものになりかねません。次回は遺産のことを話題にしたいと思います。

日本財団が提唱する、遺贈という名の選択

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