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立教大学社会デザイン研究所 星野 哲終活万華鏡 -1-

終活万華鏡 -1-

 自分の葬儀やお墓の準備をしたり、身の回りを整理したりする「終活」。2009年に週刊誌が使ったことで広まったこの言葉は、いまやすっかり定着したようです。

 さて、質問です。どうして終活するのでしょうか?

 多くの方は、こう答えます。「迷惑をかけたくないから」と。

 人が亡くなると、やるべきことが確かにたくさんあります。死亡届の提出、火葬、様々な契約の解除、遺産の相続、遺品の整理...。亡くなった本人はいくら自分で何とかしたいと思っても、当たり前ですが何もできません。だから、遺された人の負担を軽くしたい。そんな思いが「迷惑をかけたくない」という言葉になるのでしょう。

 準備しておくことで、遺族が助かるのは事実です。悲しみのなかで葬儀業者や段取りを決めるのは大変な負担ですし、時には後悔する選択にもつながります。亡くなったことを誰に知らせればいいのか、家族でも故人の交友範囲は意外とわからないものです。指針になるものがあれば、どれだけ助かることでしょう。

 ですから、「こうしたことを準備しておけば助かるだろうな」という思いやりは大切です。でも、あえて言います。死ねば自分では何もできないのですから、ある程度の迷惑をかけるのは当たり前ですし、迷惑かけてもいいのではないでしょうか、と。

 そもそも、全てを準備することなどできません。それに、必ず「誰か」が動いてくれなければ、せっかくの準備も絵に描いた餅でしかありません。「誰か」には必ず負担をかけます。だから、迷惑を迷惑だとは感じない関係性こそが大切だと私は思っています。

 いま、引き取り手がいないために自治体が無縁納骨堂に安置する「無縁遺骨」が全国的に増えています。大阪市ではこのところ毎年、市内で亡くなる人の実に10人に1人ほどにもなります。しかもその大半は身元が分かっていても、身内から引き取りを拒まれた遺骨です。極端な例かもしれませんが、「誰か」がいない、もしくはあいまいな人が少なからずいるのです。

 たとえば「サザエさん」の舞台である昭和の頃には、「誰か=家族」と多くの人が言い切れたかもしれません。でも、いまは家族の姿は変わりました。「おひとり様」や高齢夫婦のみの世帯が増えました。たとえ子どもがいても遠い場所に暮らすなど、いざというとき必ずしも頼れるとは限りません。別の暮らしをしていれば、お互いの考えを共有していると言い切るのも難しいのではないでしょうか。だからこそ、終活という自助努力が必要になっているといえます。

 あなたはどうでしょう。「誰か」をはっきりと思い浮かべられるでしょうか。

 実は、終活の大切なポイントとは、この「誰か」との関係性を紡ぐこと、見直すことだと考えます。だから、「終活を意識したら集活を」と私は主張しています。集活とは、集まって話をしよう、縁を集めようといった意味で使っています。

 そう考えると、多くの人が取り組んでいる終活には、ともすると足りない点があると感じます。一言でいえば、「誰か」と対話することです。この続きは次回に。

日本財団が提唱する、遺贈という名の選択

 「人生100年時代」に於いては、仕事の引退やパートナーとの別れなどで「社会的なつながり」が大きく変化した後にも、長い人生が続きます。終活を通して自分に合った形で新たに社会との関わりを築くことは、長い高齢期をより安心して過ごすことにつながるでしょう。
 日本財団遺贈寄付サポートセンターでは、遺言書で自分の財産を社会貢献のために使いたいという方に、終活周りの情報提供もしております。お気軽にご相談ください。

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